ディープストーリー
見た目は西洋人、中身はソフトな東洋心を持ったドイツ人夫と、遠慮がちで心優しい長男、ヒプノベビーとして生まれ自己愛満載な娘の4人家族。ドイツフランクフルト近郊の小さな可愛い温泉町に住んでいます。
ドイツとは縁もゆかりもない人生を送ってきた私。なのに“たまたま”、ドイツ人の夫と結婚することになり……。途中、フランスで一人、ドイツで一人と家族も増えて、なんだかんだと在欧18年になろうとしています。
思いもよらない渡欧での、想像だにしなかった波瀾万丈な人生劇場。
そこから得た、大きな大きな気づきと宝物。
ここでは、わたしがドイツへ導かれた理由、そしてヒプノセラピストとしてのミッションを見つけるまでのストーリーを、みなさんにお話ししたいと思います。
運命のいたずら?神様の思し召し?ドイツへ嫁入り!
日本では大学卒業後、大手企業に勤務。
けれど、 “大手ならでは” “日本ならでは” のドロドロした体制と社会に嫌気がさした私はある日、決意しました。
「自分でしたことに正当な評価を受けたい。海外へ行ってやり直そう。そうだ、アメリカだっ!留学だっっ!!」
今思えば、若かりし反骨精神。ここではないどこかに青い鳥を求めて……。
ちょうどその頃、アジアを休暇旅行中にタイミング良く出会った感じの良いガイジンさんが、今のドイツ人夫だったのです。
「Where are you from?」の問いに「Germany」と返ってきた時にはがっかり。
「ほんとはアメリカ人かイギリス人が良かったのに~。まぁ、でも英語の勉強になるかな。」と下心を隠しつつ、英語でのメール交換が始まったのです。
その後会社を退職して、アメリカ留学前にと、お遊び気分&興味本位だけで単身やってきたドイツでの生活は、全然バラ色じゃありませんでした。
堂々とした風格のドイツ人。チンプンカンプンのドイツ語。慣れない生活と規律厳しいルール。
「話しかけられたらどうしよう。通じなかったらどうしよう。恥ずかしい」
引け目を感じ、ビクビクしながら外を歩く日々……。
“職無し、ドイツ語ゼロ、貧弱なアジア人容姿” の自分が、ちっぽけで価値のない存在に感じました。
どんよりと暗く寒い気候に、心もずっしりどんより。
「私は子供が当たり前にできることさえできない。私はここで何をしているんだろう?洗濯物を干すために、会社を辞めてこのアパートにいるの?」
家に篭って自分にダメ出しをして、いじけてばかり。
半年ほど経って少しずつ慣れて来た頃、英語圏の国へ転勤希望を出していた夫の希望が受け入れられ……、なんと、フランスへ!!!転勤に。
フランス語ももちろん全くできなかった私は、途方に暮れました。
それからフランスのブルターニュ地方へ引越したのは、入籍たったの3日後。
ドイツからフランスへ。葛藤の末のパニック発作
気を取り直して、さぁ、この美しい田舎で素晴らしきおフランス生活。
……のはずが!!
それはもう、孤独、 and 孤独、 aーnd孤独、な新婚生活がスタートした2001年の夏。
すごろくの駒が「振り出しへ戻れ」と示したかのように、私にとってまたゼロからのスタートとなったおフランスでの新生活。
ドイツの隣国といえど、人の気質も文化も異なるフランス。折しも時代はEUが始まったばかりの混乱期。私も夫も様々な書類手続きに翻弄される毎日が続きました。
フランス人は、本当に英語を話してくれませんでした。勝手が分からず、家族のいないブルターニュの田舎町での生活は、まるで陸の孤島のよう。
それでも、車の運転を覚え、フランス語の勉強を頑張り、自分を鼓舞してどうにか私も夫をサポートできるよう一生懸命努力しました。
そんなある日、あの恐ろしい発作が……
それは、飛行機内で起きたパニック発作でした。
日本での披露宴のために、夫より一足先にひとり乗っていた日本行きの機内での出来事。
この恐怖感はどんな表現を使っても、体験した人にしか分からない感覚でしょう。
そしてこの経験から後、何年も予期不安に苦しみました。
「こんなのイヤ!」異国での出産と子育て。追い詰められた末に……
そんな中でも、とても嬉しいことが。
妊娠したのです。
はじめての妊娠、はじめての出産と子育て……。
幸せいっぱい、不安と孤独もいっぱい。
出産は、フランスで主流の無痛分娩。麻酔をして、腕やお腹は管だらけで息子が生まれるのをベッドの上でただ待っている。
この時、魂の叫びを聞きました。
「なんか変。こんなのイヤ!こんな不自然な出産はもう絶対にイヤ!!!!」
それでも、無事に元気に生まれてきてくれた可愛い息子。小さな家族との新しい生活がはじまりました。
程なく夫はドイツへ帰任になり、新しい業務は、月の半分が海外で不在という生活に。
ドイツへ戻ったものの、ドイツ語はほとんどできません。また新たな土地での生活。乳児を抱え、孤独な子育てに大奮闘でした。夫が不在の生活は息子が3歳になるまで続きました。
「私が倒れたら見つけられさえしない。どんなことがあってもこの子だけは守らなきゃ」
「私はどうなってもいいから、息子だけは将来のためにしつけなければ」
数多くの「ねば・べき」教へ入信して、どれだけ自分にプレッシャーをかけていたんでしょう。
「苦しい。辛い。助けて!!」
「私にはできない!!」
誰にも、自分にさえ言えず、無理を重ね、心の声を無視し続け、苦しいという感覚も麻痺してしまった。
肉体的にも精神的にも追い詰められ、次第に、子育て以外のことができなくなりました。
辛い体調をどうにかやりくりして。できない自分、ダメな自分を責めながら。
ふと、心の病かと頭をよぎっても、「私は違う。根性でなんとかなるもの」とたかをくくっていました。
ある日、料理の材料を切っている時、こんなことを考えている自分が。
「今なら・・・すぐに死ねる」
死ぬか、逃げるか・・・間一髪で人生を一転させた出逢い
「どこへ逃げたらいいんだろう」
「どうやったら死ねるんだろう」
そんなことを無意識に考えている。
これはただ事ではない、「私には、助けが必要なのかもしれない」とやっと気付きました。
自分と向き合う決心をし、病院へ。
検査の結果は……、鬱病。そして不安障害。
自分に起きていることを受け入れてはじめて、辛さを感じることができるように。
「一刻も早く楽になりたい。1日も待てない。薬でもなんでもいいから……」
病院から専門医の予約を入れ、あとは薬の診断と処方を待つのみとなったちょうどその頃のこと。
気分転換のため受けた友人のカラー診断で、今まで誰にも話さなかったことを打ち明けました。
すると友人は、ヒプノセラピーのことを教えてくれました。
ヒプノセラピー……。はじめて聞く言葉です。
「それをしたら、どうなるの?」と尋ねると、
催眠で、光に包まれるのをイメージして癒される、というなにやら怪しい説明。
「そんなことで、私のこの苦しみが、本当に良くなるんだろうか?」と半信半疑でした。
アメリカでヒプノセラピーを学んだ友人は、心の病で薬が手放せなくなった人を何人も見ていました。まだ飲み始めてないなら薬に手をつけるな、と強く勧めてくれました。副作用のないヒプノを試して、それでも駄目だったらそれからでいい、と。
「本当は一刻も早く薬をもらって、楽になりたいけど……。でも、やってみよう」
テレビの催眠術ショーしか見たことのない私にとって、はじめてのヒプノセラピーは想像と少し違いました。
誘導に従って、理想の未来を詳細にイメージしていく私。
…… 夫が出張へ出かけた。留守の間、息子と一緒に楽しくソファに座り心から楽しんで一緒に遊んでいる。お家で起業して、元気に動き活き活きと楽しそうな私。毎日が輝いて、幸せで、気持ちは落ち着いて平和で安心して穏やか。健康そのもの……。
「催眠に入った!」という明確な境界線や感覚はありません。
体がリラックスして気持ちよく、心の世界に集中しているけど意識はある。
「本当に催眠に入っていたの?これでいいの?」
それからは、セッション内容の音源を毎日聞きました。
繰り返しイメージすると、潜在意識が確信へと塗り替えられていく。
日々、少しずつ気持ちが明るくなり、楽しさや喜びの感覚が戻ってきました。
「こうなれば最高だな」とセッションの時に望んだ未来が、本当にその通りになっていきました。
2回目のヒプノセラピーでは、パニックから来る飛行機恐怖症を扱いました。
年齢退行催眠で、恐怖感の一番最初の原因となった出来事へ戻ります。
3歳の私がしたとても怖い経験を、大人になった私が助け、記憶を書き換えることで得た深い癒し。催眠から戻ると、もうあの恐怖感は無くなっていました。
私は、どんどん元気になっていきました。
間一髪のところで、友人とヒプノセラピーに救われた。
その完璧なタイミングは、まるで神様のシナリオのように。
処方された薬の封を開けることはついにありませんでした。
「人のため」が「自分のため」に。ヒプノで出逢った本当の私
ヒプノセラピーと出会ってから、毎日が楽しくなりました。
癒されただけでなく、今まで感じたことのないような幸福感も感じられるように。
「周りで同じように苦しんでいる人の少しでも役に立てれば」と、日本で学んで私自身もヒプノセラピストになりました。
心は良くなったけど、体はまだ完全に治癒しておらず、ドイツの自然療法士学校でホリスティック栄養学やレイキも学びました。
栄養アドバイザーの資格を取るとすぐに、妊娠が発覚。
ずっとこのタイミングを待っていてくれた2番目の娘。
催眠が日常になっていたからか、命がお腹に入った時、私は娘からのメッセージを受け取りました。
「人生は、全部、大丈夫だってことを伝えに行くよ」
そして一生の宝となる、出産体験。
娘と完全に繋がり、空間も時間の枠も超えてただ波動に身を委ねた神秘の瞬間。
穏やかにスムーズに、痛みなく生まれてきた娘。
生まれてからもずっと続く、魂の絆。
ここから、子供との潜在意識トークも日常に。→ブログリンク
栄養アドバイザーとして、栄養講座や食事のアドバイスをしながら気付きました。
体に問題がある人は、心の状態が少なからず関係している。
「ヒプノセラピーを、もっと深く学びたい。そうすれば、クライアントさんに心と体の双方からサポートできる」
こうして私は再びヒプノセラピーの学びを深めることに。
宮崎ますみさんに師事して様々なプロトレーニングを重ねていきます。
けれど、”人のために”のつもりが、本当の意味での自分探しの旅の幕開けになるとは。
ヒプノの学びを深めるほどに、自分のさらに深い部分と向き合うことになりました。
まるで神様が、「骨の髄まで学びなさい、見つめなさい、向き合いなさい!」と言っているかのように。
思い込み、常識の刷り込み、被害者意識、信じ込んできた暗示、執着する個我、他人や自身へのジャッジ、コントロール欲、お金のブロック、自己顕示、自己正当、不安、疑い、悲しみ、弱さ、罪悪感、不要なルール。
潜在意識に植え込まれ、これまで信じてきたものが覆されていく。
向き合えば、与えられる、次の課題。
辛くて、「もう神様許してください!!」とお願いしたことも。
でも、ここに気づいたら、自分をごまかして生きていくことは二度とできない。
もう戻れない。
自分の魂の本質にペタペタと貼り付け、縛り続けてきた、様々な概念が現れ、これまで「これが自分だ」と思っていたものは、ただそう信じ込んでいただけだと気づく。
いろんなものを脱ぎ捨てて、自由に生きる決心をした。
勇気を持って、信頼する道を選ぶと決めてから、わたしは自分の魂の真ん中へと戻ってきた。
そこに見つけた、魂が本当に望むもの。本当のわたし。どう生きるか。
これまで経験してきたことの全てが、光に変わりました。
そう。
闇は・・・光だった。
誰でも変われる、それも一瞬で。
今、伝えたい。
「人は誰でも変われる」
いつでも。いくつでも。
私がこんなにも変われたのは、ヒプノセラピーのおかげ。
あの時、なぜ私が生きにくさを感じ、苦しかったのか、今は分かります。
答えは、全て私の潜在意識の中にありました。
ヒプノセラピーは、潜在意識と深く繋がるための最高の方法です。
苦しみ、泣き叫び、自分と向き合い、そうして幸せを見つけた私だからこそ、出来ることがある。
現在私が行っているのは、ヒプノセラピーでクライアントさんの心と体と魂に寄り添いサポートすることです。
心理療法の技法を使いながら、エネルギーを整え、クライアントさんの潜在意識と繋がりコミュニケーションを取ります。
オンラインと対面で、ヒプノセラピー・カウンセリング・コーチングの個人セッションや、自己催眠講座でセルフケアをする方法をお伝えします。
「人は、誰でも変われる」
その鍵はあなたの内側にある。
あなたはそのままで、完全な存在。
あなたの中に、全ての力がある。
大丈夫。何があっても大丈夫。
生き方に正解はない。
だから、失敗しても転んでもいい。
迷った時には、私はいつでもここにいます。
あなたの魂に寄り添うために。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。
ヒプノセラピスト、クルーファー美保